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感動したらどうしたくなりますか?
THE BANBI SHOW2ND STAGEを観て来ました。村田雄浩さんの演技が最高でとにかくグッときまくってました。
芝居って、まだ全然よく分からないのですが、本はたくさん読んできたので芝居でも脚本を重視して観るようになってます。いわゆる芝居のスジっていうやつですね。
出版と大きく違うのは、本は登場人物の声や顔、すべて自分の頭の中で「最もふさわしいイメージ」で作れちゃうのですが、芝居だと演じられている役者さんの声で、顔で、間で表現されますよね。
だから本と違って「このセリフを言うのがこの役者さんで良かった!」っていう感動が生まれるものなんだなと(笑)。逆に言うと俳優が(自分のイメージと)合ってないと残念な感じになるのでしょう。
芝居でもそうですが、感動したら、それを誰かに伝えたい、可能なら相手に直接伝えたいという想いが湧いてきます。
それを伝えてはじめて、感情の置き場として落ち着けるのではないでしょうか。
ライブに行くのもそれと同じなんじゃないかな。カラオケで歌うのもかなり曲への思いを吐き出す場所にはなりますけど、ライブで本人たちと一緒に叫ぶ瞬間のカタルシスには及ばないでしょう。
だから感動させるものを作った人には、ぜひその受け皿も設計しておいてほしい。
今回は舞台に連れてってくれたSさんのおかげで、観覧した後、村田さんたちと飲みに行けたので、とぐろを巻いていた僕の「すごい良かった!」という感情はすべてご本人にぶつけられました。
疑問も直接聞けたし、すごくすっきりした良い経験でした。
村田さんありがとうございました!Sさん、いつもありがとうございます!
感情の受け皿をつくる
出版でも読者が著者とコミュニケーションを取る手段が設計されてないと消化不良を起こします。(ちゃんと読者の感情を動かす本を作れてる前提ですけどね。)
ということは読者の「いろんな感情の受け皿」が必要になります。
その「感情の受け皿」として講演会や、オウンドメディアなどがあると考えられますね。
可能なら大人数で限定的なコミュニケーションから、より少人数の深いコミュニケーションまで、段階を踏んで用意してください。
本を読んですごく感動した人は深いコミュニケーションまで行きたいと思うものですが、そういう読者に密で個別な時間を使うのは効率悪い気がする方もいるかもしれません。
しかし『ギャラリー・クオーレ』や『放送室』スタジオのスタッフさんたちの対応に、僕がめちゃくちゃ感動して、勝手に人を紹介したり、SNSで拡散しているように良い味方・宣伝者になってくれると思います。
そして、プロデュースとはこれら「感情の受け皿」を含めた、環境作りなんです。
プロデュースは点ではなく線で設計する
「プロデュースとはこれら『感情の受け皿』を含めた、環境作り」とはどういうことでしょうか。
先日紹介した若手庭師の石坂くんに「明治神宮がいかにすごい庭か」を教わって、これにまた「感動」したのでそのお話しを紹介します。
明治神宮は実は人工の庭であり、自然にできたものではありません。最初にどんな植物が育ち、それによってどんな昆虫や動物が集まるか?やがてどの植物や動物が死に、どういった菌類が増えて分解者が土を成長させるか、そういったことがすべて機能するように人の手によってデザインされたそうです。
上記リンク先の記事によれば「椎・樫などの照葉樹」を植えたわけですが
大正時代、すでに東京では公害が進んでいて、都内の大木・老木が次々と枯れていったのでした。そこで百年先を見越して神宮には照葉樹でなければ育たないと結論づけたのでした。
とあるように、百年後を見据えて生態系としてプロデュースされています。そして、鎮座50年の時点で境内の樹木の調査を行ったところ、わずか半世紀で自然の状態になっていることが解り世界的に注目を浴びたそうです。
すごいですよね、どれだけ遠く複雑な視点でプロデュースされたのでしょうか。
僕がプロデュースは環境づくりだと考えるのも、こういった視点からです。
つまり出版は著者の実現しようとしている世界の「鍵」として機能するよう、プロデュースされなくてはならないし、その「鍵」でドアを開けた読者のために「感情の受け皿」を設計されねばなりません。
プロデュースとはすべてがうまく機能するよう、しかも成長の段階に応じて役目を終えるものや新たに加わるものを受け入れる柔軟性や器の大きさも必要になってきます。
よく読者の「ペルソナ」を細かく設定して分析したりしますが、それはどうしても「点」で相手を捉えることになりがちです。
庭に生きる動植物が成長し環境を変化させるように、読者も本に出合う前と後で変化成長していくので「線」で捉えた方が良いと思うのです。
読者が本という「鍵」に出合うための仕組みとしても「オウンドメディア」や「イベント」が必要になるし、その後に目指す世界をイメージするために「大義名分」をつくるように著者へアドバイスしています。
読者を点ではなく線で捉えるところから、環境づくりとしてのプロデュースは始まるのかもしれません。
そして、このプロデュースにおける核になるものが座組です。
庭で言うところの一つ一つの木、植物であり、池や、石であるものです。
この座組については長くなったので、また次回で。