こんにちは!最近スムージー生活を再スタートさせた、出版プロデューサー白木です。
この記事は、著者から「ずっと笑ってるラジオ」と称された(笑)
本でベストセラーを目指す人のための番組『コウジニシウラのおしゃべり出版ウラ表紙vol.50』の概要です。
出版プロデューサーの西浦とフリー作曲家のあるうらさんによるラジオ形式の番組ですので、移動中など気軽に聞いてみてください。
当サイトとfacebookページの双方で配信していきます。(内容は同じものです。)
記念すべき50回目は、先週に引き続き、ポプラ社編集者の天野潤平さんをゲストにお迎えしております!
ご視聴は ↓ からどうぞ!
目次
今週はパンチある自己紹介をどうぞ
西浦「どーもー、北野武さんの新ブランドのTシャツ買いました、出版プロデューサー西浦です。」
あるうら「どーもー、ダンスも結局は顔じゃね?と思う、フリー作曲家のあるうら です。」
天野「どーもー、今一番作りたい部活は『百人一首部』です。編集者の天野です。」
西浦「ほー、よろしくお願いします。」
あるうら「パンチあるな~みんな。」
西浦「いい自己紹介だよね。」
天野「それぞれ気になりますね。ダンスなんなんすか(笑)」
西浦「ダンスみんな顔って!」
あるうら「結論はそこなんですよ。最近アメリカのビルボードのトップ10に入っているアーティストの曲で”This Is America”っていう曲があるんです。
そのPVが公開されてて、僕の中で勝手にインフルエンサー扱いしている人が、″魂が震えた″と書いてたから見たんです。
ラップと歌とが入っている曲で、黒人男性が踊ってるんですが、最初にギター弾いてる人の頭をバーンって撃つんです。
そこで”This Is Ameria”って出てビートが始まるんですよ。」
西浦「かっけーーー!!」
あるうら「メッセージ性が強めだけど、惹かれたのがダンスで。顔が無邪気だけど、病的に目がイってしまってるところに引き込まれる。だからダンスも顔を見るんじゃないかって。」
西浦「イケメンかじゃなくて、人間の顔の表現ということですね。」
あるうら「顔の表現こそが見ている人の心を打つよねっていうことを言いたかったです。」
西浦「顔面アーティストですね(笑)」
あるうら「僕あるうらですね(笑)」
天野「顔面アーティストだったんですか?(笑)」
あるうら「百人一首いきますか。」
天野「ちはやふる・・・」
西浦「そこか・・・まさかのミーハーやった!」
天野さんが『ちはやふる』に影響を受けて作りたい「ミーハー百人一首部」についてはぜひ本編ラジオでお楽しみください!!
バンドマンから編集者への道のり
西浦「今日は天野さんの過去(壮絶かはわかりませんが)編集者になるまでの経緯を聞いていきたいと思います。
前回の話では、ポプラ社に新卒で入って、営業を2年やって。社長に「来週から編集者できる?」と言われて編集者になったということでしたが、どういう流れで出版社に入ったんですか?」
天野「そもそも編集者になりたいとか全く思っていなくて。高校に遡るんですが、僕音楽が好きでベースをやっていたんです。
でも軽音部がない学校で、静岡の清水の田舎出身なのですが、楽器店もタワレコもなくて。“この町からオラ出たい!音楽やりたいから東京やろ!?”って思って東京に出てきたんです。とにかく軽音部に入りたかった、僕は。」
あるうら「高校から東京に出てきたんですか?」
天野「大学からですね。高校は1人でベース弾いてたんで。」
あるうら「マジっすか?」
天野「大学で軽音部入って、晴れてバンド組んで、ライブやったりCD作ったり。」
西浦「完全なる大学デビューじゃないですか(笑)」
天野「バンドやってモテたかったんですよね(笑)でも全然モテなくて。」
あるうら「わかる!ベースってモテないんですよね。僕も高校はベースから始めたんで。全然モテないんですよ、ベースって目立たないんで。」
西浦「あるうらさん、モテたくて始めたの?なんでギターにしなかったの?」
あるうら「女子としゃべりたくて(笑)ギター目立ちすぎるから無理って(笑)」
天野「僕もギターやったけど、Fコード押さえられなくて無理!ってなってベースになりました。」
(中略)
天野「就職活動が大学3年から始まったんですが、本当はバンドをずっとやりたくて、最悪バイトとルームシェアでいいかなと思ってたんです。
でも親から仕送りもらってたから、就活しているポーズは取ろうって思い、どういう仕事したいかなって考え始めたんです。
文学部で本読むのとか、美術とか好きだったから、”文章と絵の両方ができるのは絵本じゃね?じゃあ出版社受けてみよう”って。
大手出版社を調べたら、エントリーシートとか企画書とか面倒くさかったんですよね。
これ、1個1個やってくのは無理だなと思って児童書だけに絞って、ポプラ社と福音館書店という児童書系出版社が採用していたので、2社だけ受けて、通っちゃったんです。」
あるうら「そういうもんですよねー!」
西浦「もっと熱い思いで準備して落ちる人いっぱいいるんですけどね。」
天野「顰蹙買うと思うんですけどね…こういう話すると。その2社以外は、リクナビとかでエントリー数少ない企業を滑り止めとして受けてたんですよ。
シロアリ退治の会社とか、怪しい水を売る仕事とか、築地の卸売場のおじさんとか、積極的に受けて社会を見るっていう(笑)」
西浦「ハハハハ。」
天野「面白かったですよ。一次選考が築地見学で、朝3時集合とか。」
あるうら「どうやって行くんですか?」
天野「みんなジョナサンに泊まってましたね。ジョナサン迷惑ですよね(笑)そんな感じで出版社に入ったので、めちゃくちゃ編集の仕事したい!ってわけじゃなかったです。」
西浦「児童書なら営業でも良かったんですね。」
天野「最終的には、絵本の編集者をやれてたらいいなって思ってたんですけど、新書の編集部に行っちゃって。でも実は新書って一番行かない売り場で(笑)
文庫は文学を読んだりはしてたけど、新書に興味が全くなかったので。どんな本があるのかなってリサーチ始めた感じです。」
あるうら「ポプラ社の面接はどんな感じだったんですか?」
天野「当時の採用フローでいうと、エントリーシートをWEBで提出して、一冊自分が好きな本を紹介する作文を出しました。
その後、東日本大震災があって、半年くらい返事がなくて採用なくなったかと思ったんです。
でも、一次選考通知が1ヵ月くらい後にきて、″今あなたにできることはなんですか?っていうテーマの作文を出して、通って、最終選考でしたね。」
あるうら「完全にそれが刺さったんじゃないですか?」
天野「SPIとかテストではなく、それでしか判断しないんだなって感じでしたね。」
あるうら「ちなみに、なんて書いたんですか?」
天野「バンドやってたので、チャリティイベントとか出ていたから″自分なりの貢献の仕方をしています″と書いたと思うんですよ。」
西浦「出版にぜんぜん関係ないことを書いたからよかったのかな。絵本の読み聞かせとかじゃなくて、本当にやってるんだなって。」
天野「かもしれないですね。」
西浦「あるうらさんは東日本大震災の時、何してました?」
あるうら「姫路にいて、フォーラスというファッションビルの営業やっておりました。」
西浦「何かやりましたか?」
あるうら「べっちゃやりましたよ!」
西浦「べっちゃ?なに弁?(笑)何したんですか?」
あるうら「基本的に募金と、それにちなんだキャンペーン組んだりしました。僕個人的には、あの時初めてTwitterをちゃんと使いましたね。西浦さんは?」
西浦「僕は自宅難民してました。もう独立していたので、打ち合わせが全部キャンセルになるので出る予定ないし、電車も動いてなかったり。誰ともしゃべらないみたいな(笑)
テレビも見るの辛くて。コンビニの往復でけっこうふさぎましたね。」
『16歳の語り部』に気づかされた編集者になった意味
西浦「(センジュ出版の)吉満さんも震災で働き方を見直して、独立したんですよね。(震災は)みんなの人生に大きい影響を与えてるんですね。
天野さんは震災があって、入社して『16歳の語り部』を作ったんですよね。」
天野「震災から5年目の年に作ったんですよ。震災で人生が変わった人がいたけど、僕はあまり変わらなくって、当時は就活がどうなるかって自分のことばっかり考えてました。募金とかはしていたけど。
4年後、当時16歳で被災した子たちが東京で語り部をやる講演会にたまたま出席してて、『僕がチャラチャラ遊んでいた間に、この子たちはこんな思いを抱えていたのか』って思って、編集者としてこの場に居合わせたのは、この子たちの声を届けるためじゃないかって思って、すぐに『本にさせてください』って言いました。」
西浦&あるうら「へえー!!」
天野「震災の4年後に僕は変わりましたね。」
西浦「来週、もう少しお聞きしたいと思います。」
あるうら「無駄話が長かったことが悔やまれますね(笑)」
来週もこの続きをお楽しみに!
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