昨日、2月28日はかぎろい出版マーケティングの設立記念日。妻と朝から『あ、よく考えたら今日7周年だわ』などと話していたので、打ち合わせの帰りに『何か買って帰ろうか?(ケーキ的なものを)』とLINEしたら『トイレットペーパーお願い』と言われた出版プロデューサー西浦です。2月28日はトイレットペーパー記念日になりました。
※妻の名誉のために補足すると、サプライズでちゃんとケーキを用意してくれてました(笑)。イェエエエエエエイ!
僕は2010年の2月末に独立して出版プロデューサーになったので、ちょうど7周年です。7周年を迎え「今までどうだったか」とか「今後どうしようか」を考えてみようかと思ったのですが、だいたいうまくいったことは人様のおかげで、うまくいかないことも人のせい、自分のせいなので、結局のところ「まだまだだ」という結論になりました。
目次
独立前に新橋に通っててよかった
たまたま7周年記念日の前日、2月27日の夜に仕事で悩んでいる後輩と飲んでまして『独立するとき怖くなかったんですか?』と聞かれました。そのとき新橋の居酒屋オーナーの話をしたんですね。
仕事がデキなさすぎて新橋に逃げた
当時、社会人になって2年目なのに、まったく仕事ができないダメダメ社員だったボクは、定時で仕事を終わらせ、18時前には新橋に到着し、名も知らぬ常連のオッサンたち(レシピデンツさんとかファルコとか謎のあだ名で呼ばれてた)と毎日飲み歩いてました。ちなみにボクの新橋ネームはマイケルでした、意味わからんw
仕事の成果もやる気すらも出せず「こんなことしてる場合じゃないんだけどなぁ」と思いながらも、現実逃避のために新橋で飲んでたんですよね。彼女にもフラれてたし、今思うと散々だな、本当に。
いつまで経っても終わらない準備
その店は開店して1年くらいの若い店で、お店のスタッフもイキイキしてて、自分にはすごくまぶしく映ってました。いっそそっち側の人間になりたいなとか考えていたのですが「それはそれでお店の人に失礼だろう」とか「ただの逃げだしなぁ」とか思ってました。
そこのオーナーとも仲良くなったので、カウンターで飲んでたか、一緒に店を閉めて二軒目に行ったかした時に『独立するとき怖くなかったんですか?』という質問をしたんですね。昨日、僕が訊かれたのとまったく同じ質問です。その返答が『怖い怖い!でもさ、準備なんていつまで経っても終わらないしねぇ』でした。
怖いのは当たり前、準備なんてやりきれないんだな。「それでも」やるんだなって妙に納得したことを覚えています。
「それでも」と「でも」の大きな差
質問してくれた後輩たちにもその話をしたら、何か感じてくれたみたいです。
僕はこの「それでも」は魔法の言葉だと思っていて、けっこう大事にしています。というのも悪い現状や足りない自分を受け入れて、そのうえで「それでも」と前向きな選択をする言葉だと思っているからです。「それでもなお、人を愛しなさい―人生の意味を見つけるための逆説の10カ条」という本を読んだとき、そこで必ず登場する「それでも」という言葉にシビレたのがきっかけです。
似て非なる言葉は「でも」「だけど」で、こっちは否定から入っているんですよね。現実を受け入れていないときに出る言葉かなと思っていて、「それでも」なのか「でも」なのかは自分でもどっちかな?と考えるようにしています。バナージも良く言ってますしね笑
失敗から「何を学べるか」は、被害者か当事者かによる
うまくいかなかった経験はそこから何を学べるかで、今後の価値が決まります。ボク自身痛い目にも何回か遭ったし、それを糧として対策や予防線を張れるようになりました。
そして失敗はそこから学ぶひとに「当事者」というポジションを与えてくれます。当事者が語る言葉だからこそ聴く側も納得感が増し、耳に入りやすい言葉になると思うんです。ああ、この人も自分と同じ苦しみを味わった人なのか・・・そう思うと素直に聞いてみよう思えます。
だから失敗した人は、その時はどん底でも後から有効に使える日が来ると思うから、あまり深刻に考えないで欲しいなと思います。本に具体的なエピソードとして書いたりとか、そういう経験を経た人の方が器が大きかったりしますし!
失敗したままの人は被害者意識に囚われているけど、学ぶ人は当事者意識を持っていてそこが大きな差を生むのだと思います。
今までの延長では進めないという現実
そうやって失敗から学んで試行錯誤をして、成果を出した後。うまくいくようになってきたからこそ、ここから先は今までの延長では進めないと感じるようになりました。
学研時代に、担当作が「売れない」現実と向き合って、自分なりに仮説を立てて検証を繰り返すようになりました。売れないのを「企画が悪い」と人のせいにしててもしようがないので、「それでも」と頑張り始めたからですね。
自分なりのマーケティング手法を構築できたのと、いろんな人の協力もあって10万部以上のベストセラー(シリーズ数十万部)を生み出すことができました。いわゆる成功事例です。
けれどここから先、もっと上を目指すには、そのマーケティング手法だけじゃなくて、企画段階から最終的なゴールを見据えて作る必要があると感じました。
- 「本が売れない状況で、売れるように仕掛ける能動的な手法を見つける」段階と
- 「すでに本が売れる状況を構築したうえで、それをはるかにしのぐ成果を出す」段階と
はまったく別次元の課題だからです。
当時はそんな風に意識できてなかったですけどね(笑)ただただ「本のマーケティングを極めたい」と思って、そのためには企画の根っこから携わらないといけないと感じてただけです。
成功からはこれ以上学べない理由
そこで出版プロデューサーとして独立して、7年が経ちました。意気揚々と独立したのですが、はじめてプロデュースした本は3刷10,000部で止まりました。そんな現実を受け止めて「それでも」と2作目で4万部、3作目で6万部と伸ばし、昨年はようやく18万部を越える本をプロデュースでき平均実績も44,000部になりました。
こう見ると成功してるなと思えなくもないですが、むしろ当事者として、ここから先は今までの延長では進めないと感じます。著者や編集者、営業さんや書店さんたちがすごく頑張ってくれたおかげで売れたので「失敗」がほとんど見当たらないのです。
「成功からは感謝しかなくて、学びが少ない」です。30万部、50万部、100万部、200万部、500万部・・・と目指していくなら、20万部売れた本からたくさん「失敗点」を見つけられるくらいでなくてはならないのです。
成功から失敗を見つける目を作る
それはもう、僕が今かけているメガネでは見えない世界だと思います。8年目以降は新たな何か、創造と破壊だったり、開拓発掘して自分の器をもっと大きく深くしたいと考えています。
ですので昨年末あたりから、自分にとって今までにないチャレンジを進めています。この出版TIMESもそうですし、本を楽しむ会の運営、N-workerという新たなフリーランスプロジェクトに参画したり。
一緒に過ごす人が変われば言葉も常識も変わって面白いです。出版的な考え方から少し離れて、異業種や新ジャンルに触れることで、いかに自分が無知で、狭い世界にいたかを痛感しています。最近自分が顔を出す場所に出版の人が全くいません(笑)それが心地よいです。
クライアントに対しても「出版以外の部分は関わらない」ことが専門家としてあるべき姿と考えていましたが、むしろセルフメディアの運営や、イベントの企画など結果的にベストセラーを生み出すのに役立つことはどんどんやって行こうと思います。
そうやって手に入れたスーパーなメガネを使って、はやく平均10万部、100万部突破の世界を見られるようになりたいと思います。
なので、ここから10年くらいは「かぎろい」新ステージへ上がっていきますので、よろしくお願いします。
今回はまったくまとまらなかったなぁ・・・苦笑