毎日更新21日目。
ライターの古賀史健さんが、昨日(2018.5.7)『「書かなきゃだめだ」の、その理由。』と題してnoteを更新されていた。
そこに書かれていたことを読んでうんうんうんうん、と「あれ?自分まだ首据わってなかったかな?」というくらいグラングランうなずいたのでご紹介します。
で、いちばん思ったのは「やっぱり書かなきゃだめだ」である。
たとえばイチロー選手の特別補佐就任について、その一報を受けて思ったことや考えたこと、思い出したことなどを書けと言われれば、いまここに書くことはできる。
中略
でも、そこで書かれるあれこれの話は、あのニュースが流れた5月4日の「!!!」とは、ずいぶんかけ離れた思いなのだ。あの日の「!!!」はあの日に書いておかないと、中途半端な編集のほどこされたむにゃむにゃになる。駆けめぐったはずの衝撃は、技巧としての感嘆符になってしまうのだ。
そうなんです。
僕が著者に情報発信が必須だというのには、この理由がすごく、すごく大きいのです。
記憶、特に感情はその瞬間が最も鮮明で、時間と共に圧縮され、最終的にほとんど消滅するのです。
目次
ノウハウは抽象化され、普遍化する
本を書くときに、すごく経験豊富な方でもどんどんありきたりな内容になったり、過去作と同じようなエピソードばかりになってしまうことがあります。
それは単純なネタ切れというやつなのかもしれませんが、処女作でもそうなることはあるのです。
なぜなら記憶はどんどん圧縮されて、細かい差異が消滅していくからです。
この差異こそが、その著者が自分のジャンルで成功できた理由であり、読者のためにも書いてほしいことだったりするのですが、自分の中ではどんどん抽象化され応用の効くノウハウとして成熟していきます。
いざクライアントの前に立ったり、仕事の現場に向き合えば自分の経験と、成熟されたノウハウとを引っ張り出してきて、その場その場で最適解を提供できるので、本人の仕事には差異が存在しています。
仕事の中にはクライアントからのアクションにどう対応するかという、ある意味リアクション芸の部分も多いからです。
しかしそれをいざ本で伝えると、成熟されたノウハウのみになり、読者側に「経験値」が足りないと差異を発見できません。あるいはノウハウが圧縮され過ぎていて、経験豊富な読者でもありきたりな情報しかキャッチできなくなります。
感情は圧縮され、消滅する
上に書いたのは「ノウハウ」についてですが、この傾向がもっと強いのが「感情」です。
感情はそもそも言葉にするのが難しいので、心拍数の増加や体感温度の変化、身体に張り付いた服と汗の不快感のような臨場感ある五感を導入しつつ、翌日など少し整理された状態で文章としてまとめると非常にその場のリアルが残ります。
しかし、この感情は3日も経てばどんどん薄れていくし、その時の心拍数やら温度の変化なんて忘れてしまって「焦った」「とにかく焦って…汗でました」とあれ?語彙の引っ越し今日だったかな?と疑いたくなるレベルにまで圧縮消滅されていきます。
僕自身、独立当初(2010年)の記憶や、不安ってもうリアルに思い出せません。舌の裏の手術跡を見るとちょっと思い出すくらい。
でも、たまたま数か月だけ簡単なメモとしてワードに記録している文章があって、それを読むと正直戦慄します。
単なるメモでしかないのですが「あの人にこの時、こんなことを思っていたのか」「ものすごく冷静に淡々と書いているのに、戦慄するくらい当時の様子がリアルに伝わる」と衝撃を受けました。自分で書いたのにすっかり忘れてるんですね。
これを回避するには、日々ノウハウ知識と感情をリアルに記録するために、毎日書くしかないんです。
毎日更新はつらい部分もありますが、慣れればできます。たぶん。風邪とか引かなければ。
あなたもぜひチャレンジしてみてください。
※著者メディア実践塾ですが、1期は定員に達してしまいました。
2期を9月ごろに開催予定ですが、すでに数名お申込みをいただいています。
ご興味のある方はお早めに西浦のfacebookか出版TIMESのfacebookページへお問い合わせください。
引用:「書かなきゃだめだ」の、その理由。古賀史健さん