
コンビニ系大福シリーズでは塩大福最強説の出版プロデューサー西浦です。お饅頭屋さんでは頼まないんですけどね~、コンビニだとこれ一択。
さて毎日更新85日目。
85日目にして、実に85回目のネタ切れに見舞われた。何のストックもないまま勢いで始めたもので、ずっとネタ切れではあったのだけど、今回は最大のピンチだ。
というのも、この記事は珍しく当日の朝ではなく、昨日の夜に書かれている。「明日の朝は書く時間もない」と気付いたからで、ネタ切れなのは毎度のことなのだが、「時間もネタもない」という二重苦になった。
毎日書いてるうえに、朝と夜の2回書くのはけっこうきつい。
でもおかげで少し見えてきたものがある気がする。
目次
書くネタがない時
この状況にはっきりと気づいたのは、夕食後の皿洗いをしていた時で、今週のスケジュールを考えるに「あれ?これかなりヤバいんじゃないか?」と血の気が引いた。
そこからはもう必死で「何か、書くことはないか?」というネタ探しである。(皿を洗いながら)
当然、時間もネタもないのだから、本日あったことから絞り出すしかない。
幸いにも今日は、ワニブックスさんでの打ち合わせがあった。
これしかない、これにかけるしかない。何か書くべきことがあったはず・・・と今日の打ち合わせ内容を反芻する。
・・・ないのだ。ネタが。厳然たる事実として。
もちろんまだまだ出版前の企画に関する打ち合わせなので、現時点では言えないこともあるし、限定的な書き方しかできないのはいつものことなのだが、いい感じにぼかして書くのも難しそうに思えた。
なにせ、打ち合わせは非常に和気あいあいと進み、事前に予定していた議題を消化し、なんなら想定時間通りに終わったのだ。
こんなにうまくいって、著者も「分かりやすい」「書けそう」「やる気出た」という太鼓判。
うまくいったことって本当に書きにくい、失敗エピソードがウケるというのもよく分かる。やはり失敗は書く方もとっかかりができて書きやすい。この「とっかかり」はすごく大事だ。
通常なら「書くネタ無し」ということで、他のネタを構想していたと思う。しかし今回ばかりは何もネタがないし、時間もない。はやくネタを見つけないともういい加減洗い物も終わってしまう。お忘れだったかもしれないが、この間もすごい真顔で洗い物をしていたのだ。たぶん妻や娘も「なんでこんな思いつめた表情で洗い物してるんだろう」「お腹痛いの?」とでも思っているに違いない。
「ネタがないので書かない」の否定が生むもの
「というわけで、今日はネタがないっていうネタでした~」というオチを想像された方もいるかと思う。
許されるならそうしたいところではあったが、それをやると、もう自分は毎日更新ができなくなってしまう気がする。今日のパスタの写真とか上げるようになる気がする。
そこで今日の打ち合わせをもう一度反芻して、考えてみることにした。いつもなら「うまくいって良かった」と思って終わる打ち合わせだ。深く考えたりはしない。
よく考えると、なぜそこまでうまくいったのだろうか?どの部分を「良かった」と考えたのか。
これは不思議な問いだ。
「良かった」っていう満足感は感じるものであって、自然と生じてくるので、その原因の特定ってあんまりやらない。
なので細かく「良かった」を分析することにした。失敗は細かく切り分けて分析するのに慣れているが、「良かった」の分析は不慣れだ。
結果的にこれがちょっとした気付きをもたらしてくれた。
うまくいった=想定通り<想定を超える
打ち合わせがうまくいった理由の一つに、担当編集さんとかなり綿密な事前相談をしていたというのはあるだろう。メッセージのやり取りをし、その上で電話して互いにすり合わせも済んでいた。
だから打ち合わせはかなりスムーズに進んだ。事前にやりとりした文章を、編集さんがレポートのようにまとめていてくださったのでそれに沿って話すだけで良かったからだ。まさに「想定の範囲内」というやつで、白い手袋をしてこなかったのが悔やまれた。
では、この打ち合わせは、そもそも「会う」必要があったのだろうか?
そこまで準備を万全にできたのなら、あとはメールで送っても十分に伝わったはずだ。最近ではなるべくミーティングもオンラインでとか、テレワークをすすめる向きもあるのに時代に逆行している。
しかしここで思い出した。僕はあの場で一つ、些細ではあるが新しい提案をしたのだ。
具体的な内容はまだ未公開の企画だということもあるし、何より些細すぎて偉そうに書くのが恥ずかしいのでなので伏せさせてもらいたい。ざっくり言うとそれは文章をより読みやすく変えることとなり、著者に新たな視点で書くためのとっかかりを見つけてもらえるものだった。書き方にフォーマットを加えたと思ってくれていい。
それによって著者は「分かりやすい」「書けそう」「やる気出た」と言ってくれたのだ(他の要素も絡んでいるが、ダメ押しというか、その提案でしっかり刺さった感があった)。
ここで重要なのは、その提案は、僕と編集さんとの事前すり合わせ時にはなかったということだ。
会議中に編集さんが「ぽろっ」と言った「別の方の厳しい意見」を話してくれたのだが、それは事前相談では聞いてなかった。しかしそれが引き金になって新たな提案を思いついたのだ。
つまり「想定の範囲外」の出来事だった。
会うことで、余裕が生まれるのかも
この時代にわざわざ「会う」ことの理由を、「顔を見せることで伝わることがある」とか、ちょっと懐古主義的な理由に求めがちだが、今回僕は別のモノを見つけた気がする。(懐古主義の使い方間違ってるかもしれないが許してほしい。なんか使いたくなったのだ)
メールや、オンラインミーティングなど、相手と「一つの課題についての解決策」を話すときは、その課題を見て、その課題についての話に終始する。無駄がない状態である。オンラインミーティングもはやく終わるだろう。
しかしこれは逆に言うと「その課題が発生した同じ次元でしか、解決策を考えられていない状態」とも言える。これでは対処療法にしかならず、課題を解決するのは難しい。
打ち合わせに無駄がない分、互いに「関係なさそうな話」やちょっと違う角度のアイデアを提案しにくいのだ。
でも、課題とは別次元で考えられた意見やアイデアにこそ、課題を大きく飛び越える可能性があるように思えた。
もちろん、何も考えずにただ会って打ち合わせするのは時間の無駄遣いになるかもしれないが、事前に考えてきた者同士であれば、「ところでちょっと、違う人の意見なんだけど」という別次元の意見を取り入れる場になるのだろう。
今後も「会って打ち合わせする」ことの意義を探していこうと思えた経験だった。
そしてこれは、「毎日書く」という縛りを設けて、「もう時間も書くことも何もない」状況に追い込まれた僕が「じゃあ、普段やらないけど『上手くいったこと』を分析してみようか」と思ったことと似ている。そういうことにしておく。
自分を追い込んででも、無理やり何かを捻りださなくてはならないという状況は、他人のアイデアに近いものをもたらすのかもしれない。
打ち合わせでいいアイデアが出ない人は、毎日記事を更新して自分を追い込んでみることもおすすめしたいと思います。